夢がない、だからここまで来れた。裸の写真家・ヨシダナギインタビュー(前編)

アフリカを巡り、少数部族の姿をカメラに収めている写真家・ヨシダナギさん。部族と仲良くなるため、服を脱いで彼らと同じ格好になる独自のスタイルから「裸の写真家」として一躍注目を集めました。

はたらく ライフハック
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アフリカを巡り、少数部族の姿をカメラに収めている写真家・ヨシダナギさん。部族と仲良くなるため、服を脱いで彼らと同じ格好になる独自のスタイルから「裸の写真家」として一躍注目を集めました。

これまでにない構図と色彩で少数部族を写した写真が高い評価を得ているヨシダさんですが、実は最初から写真家になりたいと思っていたわけではなかったそう。アフリカで写真を撮るようになるまでの経緯から、少数部族とのエピソード、仕事に対する考え方まで、さまざまなお話を伺いました。そのインタビューを2回にわたってお届けします。


将来の夢は「マサイ族」。なれないと知り絶望した10歳のころ


―アフリカの少数部族を撮影していますが、彼らに興味を持った最初のきっかけはなんだったのでしょう?

ヨシダナギさん(以下、ヨシダ):たしか5歳の時だったかな? テレビで日本の一般家庭で暮らす人とマサイ族が交換留学をしてみるというバラエティ番組を見たんです。その番組では、日本のどこででも見かけるような畳にちゃぶ台が置かれている部屋で、マサイの人がやりを持って飛び跳ねていました。

当時は人種というものを理解していなくて、彼らがマサイ族だってことも分かっていなかったのですが、その姿を見て「同じ人間であんなに黒い肌の人がいるんだ! 私もいつかあんなふうになりたい!」と思ったことを覚えています。その時はマサイ族という「仕事」があるんだと思っていました(笑)。テレビの中では見慣れた日本の空間にいたから、私も余計に混乱したんでしょうね。

子どもって、「セーラームーンになりたい」とか「自動車になりたい」とか、格好いいと思ったものになりたがるじゃないですか。それと同じで、私はマサイ族の顔や体つきに強く憧れたんです。

だけど10歳のころ、母親に「いつ私の肌の色は変わるの?」と聞いたら「人種が違うから、あなたの肌の色や顔つきがアフリカ人のようになることはない」と告げられて(笑)。ものすごく絶望したのを覚えています。

―その後はグラビアアイドルやイラストレーターの仕事をしています。元からクリエイティブな仕事で生きていきたいと考えていたのでしょうか?

ヨシダ:グラビアはたまたま機会があったので挑戦してみたのですが、その仕事に違和感を抱き始めたころに「絵を描くのが得意なんだからイラストレーターになれば?」と言われてイラストレーターになったというだけで、特に考えがあったわけではないです。「何かになりたい」と思ったのって、マサイ族が最初で最後なんですよね。だから私には夢がない。でもかえって夢に縛られないことで、自由気ままにやってこれたなと思っています。


悩み続けた末、思い切って単身アフリカへ


―それからアフリカで写真を撮るようになるまでは、どういう経緯があったのでしょう。

ヨシダ:他の仕事をしていたころも、アフリカへの憧れがまったく消えたわけではなかったんです。ただ、テレビで特集を見かけたら「行ってみたいな」と思うくらいで、すぐに非現実的だと思って諦めていました。英語が話せないし、お金もかかるし。

10代のころは今と違ってネガティブだったんです。ほとんど引きこもりみたいな生活でしたし、行動力もなくて、私なんて生きている価値がないと思っていました。変わったのは、21歳で一人暮らしを始めたのがきっかけです。それまでは掃除も洗濯も親にやってもらっていたので、家事を何も知らなかったんですね。でも、一人暮らしで掃除機をかけないでいると、隅のほうに大きなほこりの固まりができていて、「これはどこから生まれてきたんだろう?」と考える中で掃除機をかける必要性を学んだり、洗濯物を柔軟剤で洗ってもまったくきれいにならなくて洗剤の存在を知ったり……毎日が新しい発見で。自然と「なんで私が」から「私ならできる」に考え方が変わっていきました。

―考え方がポジティブになる中で、アフリカへの憧れを思い出したのでしょうか。

ヨシダ:そうですね。でも、最初に行った海外はアジア圏でした。現地の人とのコミュニケーションは、一緒に行った母親や友達にとってもらって、私はついていくだけ。私の中では「アジアって日本のちょっとした田舎」と思ったくらいで、カルチャーショックを受けるほどではなかったんですよね。引きこもっていた時期が長いせいか想像力が人一倍豊かになっていて、ちょっとしたことでは驚かなくなっていたんです。

どこなら私は驚くことができるんだろう? そう考えた時に思い浮かんだのが、小さいころに憧れたアフリカでした。だけど「アフリカに行きたい」と言っても友人や母親は良い顔をしなかったので、一人で行くしかない。英語が話せないから不安で、ずっと悩んでいたんですけど、ある時急に悩んでいるのが面倒くさくなったんですよね。だらだらと思いを抱え続けているより、とにかく行動して、駄目なら諦めたほうがいい。そう思ってアフリカに行きました。2010年、23歳の時です。

―その時から今のように写真を撮っていたのですか?

ヨシダ:私が「アフリカ人が格好良い」と話してもなかなか共感を得られなかったので、会いに行って自分が撮った写真を見せたいとは思っていましたが、その程度ですね。もともと写真を撮り始めたのは、アジア旅行で記録用に一眼レフを買ったのがきっかけ。その時に、スラムの子どもたちを撮った写真を褒められたことがありました。写真って、モデルが良ければシャッターを押せば良い写真が撮れるので。イラスト描くより楽だし、あんまり専門的な勉強はしたくないけど簡単になれるなら写真家もいいな、と思っているくらいでした(笑)。


うまくいかなかった初めての撮影。味わった悔しさと言語の壁


―そうして訪れたエチオピアで、初めて撮影した部族がムルシ族です。紀行本『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』には彼らとの撮影で思うような交流ができず、悔しい思いをしたことがつづられています。

ヨシダ:ムルシ族をはじめ、部族の人たちは部族固有の言葉を話すので、私たちは現地のガイドに英語で意思を伝えて通訳を頼むのですが、そもそも私が英語を5単語くらいしか話せませんでした。電子辞書を使って単語だけでどうにかコミュニケーションを繰り返したのですけど、ムルシ族にしてほしいポーズや表情を伝えるまでの意思疎通ができない。そして彼らは思っていたよりもビジネスライクで、何枚もシャッターを切ると怒りながら追加料金を求めてきました。もちろん、彼らにとって観光客は大事な収入源なので、お金を支払うのは問題ないんですけど……。もっと仲良くなれるはずなのに!と思うと悔しかったですね。そういう思いを繰り返しながら、耳で英語を覚えていきました。

―英語の勉強をするのではなく、現地で覚えたのですね。

ヨシダ:英語のスクールに通うことも考えたのですが、そんなことをしたら絶対にアフリカに行かなくなると思ったんです。自分の性格を客観視してみると、勉強したり、何かに通ったりすることがとにかく苦手なので、英語の勉強ごとアフリカも面倒くさくなる気がして。だから悔しい思いをしてもアフリカに行き続けて、現地で覚えることにしました。ちなみに、私の英語はアフリカン・イングリッシュで訛りがたくさんあるので、あんまり日本人や英語圏の人の前では話したくないです(笑)。でも、おかげで現地で使える実用的な単語は習得できたと思いますね。

2012年にコマ族という部族の撮影の時に初めて洋服を脱いで写真を撮ったのですが、それは英語力の上達がきっかけでした。最初から彼らと同じ格好をすれば打ち解けられることは直感していました。マサイ族をテレビで見た時から、同じ格好で一緒に飛び跳ねたら絶対に楽しいし、仲良くなれると思っていたので。でも、それを伝えるための言葉が分からなかった。「あなたと同じ格好がしたいです」なんて、辞書にも載ってないし(笑)。2012年ごろにそれを伝えるための単語がようやくそろったので、次に裸族を撮影する機会があったら脱ごうと考えていて、それがたまたまコマ族だったんです。

服を脱いで撮影する理由は、リスペクトを伝えるため



ヒンバ族の女性たち。撮影時にはヨシダさんも彼女たちと同じ格好になり、気持ちを近づけた(Photo:nagi yoshida)


―裸になって同じ格好をすることで、撮影にはどんな変化がありましたか?

ヨシダ:顔の表情がまったく変わりましたね。険しい表情ばかりだったところから、穏やかな表情を見せてくれるようになりました。あと、大きく変わったのは彼らの接し方です。それまでは数枚撮ったらすぐ帰れ、という圧力を感じることもありましたが、同じ格好をすると長くいても嫌な顔をしないし、むしろ向こうから興味を持って話しかけてくれます。

コマ族の時は彼らの生活を切り取るような、ポートレート的な写真を撮っていましたが、2015年ごろから部族の人たちを戦隊モノのように並べて、しっかり構図を決めて撮影するスタイルに変わりました。この作風だと、撮影に時間がかかるんですよ。10分間同じポーズをしてもらったり、立ち位置を変えながら何度も撮影したり……。

長時間の撮影に付き合ってもらうには、仲良くなるほうが絶対にいいと感じます。同じ格好をすることで、私が彼らを尊敬していることが伝わるため「ちょっとくらい面倒でもこいつのためにやってやるか」と思ってくれる。相手へのリスペクトを行動で伝えて信頼してもらうことは大事だと思います。

―洋服を脱ぐのは勇気のいる行動だと思いますが、ヨシダさんは軽々とそれができている印象があります。その原動力はどこから来るのでしょう。

ヨシダ:私も今ここで脱げと言われたら抵抗がありますけど、彼らにとっての正装なので。彼らのことを本当に尊敬しているのであれば、同じ格好をしたいと思うのは恥ずかしいことではないと感じます。しかも、本物の腰布とか借りられるんですよ! 私からしたら、セーラームーンの衣装を本人から借りているようなもの。こんなに動きにくいんだとか、意外とあったかいんだなとか、リアルに分かるので、感激します。

あと、私は彼らの一番になりたいと思っているんです。彼らからすると白人もアジア人も同じ「白いやつ」くらいの印象で、ただ写真を撮るだけでは記憶にほとんど残らない。しかも自分たちにプライドはある半面、動物のように見られているという差別意識があるから、もともとあまりよく思われてはいないんですよね。そんな中で「あのナギってやつだけは面白かったよな」って言われたら最高じゃないですか? 私はとにかく、彼らの特別な存在になりたいんです。


自分にできることを見極め、行動に移してみる


マサイ族になる夢に破れ、グラビアアイドル、イラストレーターとさまざまな職業を経て写真家になったヨシダさん。その経歴を一言で語ることはできませんが、インタビューでは「写真の色彩感覚はイラストレーター時代に培った」とも語ってくれました。

ヨシダさんのように、できることから挑戦してみることで、予期せぬところでこれまでの経験が役に立つことは大いにありそうです。そのために大事なのは、自分には何ができるかを見極めることと、悩んだらまずは行動に移すこと。ヨシダさんも悩み抜いた末、思い切ってアフリカに行ったからこそ今があります。もしもやりたいことに一歩を踏み出せず、長い間悩み続けているなら、単身でアフリカへ向かったヨシダさんのことを思い出してみてはいかがでしょうか。

後編では、ヨシダさんがアフリカに憧れるきっかけとなったマサイ族とのエピソードや、アフリカと日本の働き方の違いなどについてのインタビューをお届けします。

アフリカが「写真家」の仕事をくれた。裸の写真家・ヨシダナギインタビュー(後編)

(取材・文:小沼 理/編集:東京通信社)

識者プロフィール

ヨシダ ナギ
1986 年生まれ フォトグラファー。 独学で写真を学び、2009年より単身アフリカへ。以来、アフリカをはじめとする世界中の少数民族を撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年には日経ビジネス誌で「次代を創る100人」に選出される。また同年には、講談社出版文化賞 写真賞を受賞。近著には、写真集『SURI COLLECTION』(いろは出版)、アフリカ渡航中に遭遇した数々のエピソードをまとめた紀行本『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』(扶桑社)がある。
2018年4月頃、ヨシダナギBEST作品集『HEROES』を発売予定。
http://nagi-yoshida.com

※この記事は2017/11/28にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
《編集部》

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