限界集落で見つけた、なりたい大人の姿。移住女子が語る、自分らしい生き方

新潟県十日町市の山あいに位置する池谷(いけたに)集落。2010年、人口わずか13人だったこの集落に、一人の若い女性が移住してきました。

限界集落で見つけた、なりたい大人の姿。移住女子が語る、自分らしい生き方

新潟県十日町市の山あいに位置する池谷(いけたに)集落。2010年、人口わずか13人だったこの集落に、一人の若い女性が移住してきました。

彼女の名前は佐藤可奈子さん。佐藤さんは就職が決まっていた広告代理店の内定を断り、大学卒業と同時にこの場所で農業をはじめることを決意します。

当時の池谷は65歳以上の高齢者が人口の半数以上を占め、この先の存続が危ぶまれている、いわば「限界集落」でした。しかし佐藤さんは池谷をはじめて訪れた時、「ここは“きぼう集落”なんだ」と感じたと言います。何が佐藤さんをこの集落へ向かわせたのでしょうか? 移住時の心境や、現在の彼女の取り組みについてお話を伺いました。

大きなものを変えるなら、まずは小さな単位から


佐藤さんが池谷をはじめて訪れたのは大学三年生の時。それまでの佐藤さんは、アフリカの紛争解決について学びながら、将来は海外で働きたいと考えていたと言います。

「私が中学生の時に9.11アメリカ同時多発テロ事件が起きて、世界には困っている人がたくさんいるんだと感じながら育ちました。同年代の人でも国際的な問題を解決したいと向かっていく人が多く、私もアフリカの紛争解決や人道支援について学ぶため、大学に進学しました。

大学では夏休みを利用して実際にケニアやルワンダに赴き、人道支援を行いました。でも、当時の私には現場で応急処置ぐらいしかできなくて。何かもっと根本的なところから問題を解決できないかと悶々としていました。

アフリカの人に話を聞いていると、紛争の原因は“あの人が嫌いだ”とか、“資源が欲しい”とか、ほんの小さな感情からだったんです。人間の小さな欲求が、大きな争いに発展している。それなら、世界や紛争という大きな単位ではなく、人という小さな単位から変わっていくべきかもしれない。だったら、日本でもできることがあるんじゃないか、と考えるようになっていきました」(佐藤可奈子さん:以下同じ)

限界集落じゃなくて“きぼう集落”


自分にできることは何だろう。

思索の日々を送る佐藤さんはある日、これまでの活動で縁があったNGO団体が新潟の限界集落でボランティアを行っていることを知ります。それが、佐藤さんと池谷集落の出会いでした。

「きっかけはJENという国際NGO団体です。普段は世界中で難民支援をしているのですが、国内では唯一この小さな集落の支援を行っているのが不思議で、ここには何かがあるんじゃないかと思いました。

最初に池谷で行ったことは草刈りです。汗をいっぱいかいても気づかないほど無心に草刈りをして、終わったあとはみんなでおいしいご飯を食べる。そんなふうに何かに打ち込むことが久しぶりだったので、すごく心がすっきりしましたね。

その時の交流会で、集落の人たちが自分たちの夢を語って聞かせてくれたんです。集落を存続させたい、自分たちが限界集落を脱して、日本中の過疎地を勇気づけたい。その話を聞いて、ここは“きぼう集落”なんだと強く印象に残りました。それからは村おこしのボランティアをしたり、農作業を手伝ったり……。月に一回ほどのペースで通ううちに気持ちが大きくなってきて、大学4年生の秋、集落の人に移住する決意を伝えました。

東京にいながら支援をすることもできたと思うんです。でも、最初に訪れた時から池谷の雰囲気が好きでしたし、東京にいながら“これからの農業はこうだ”と評論するよりも、現場でプレイヤーとして携わりたい気持ちがありました。

そのころはリーマンショックが起きて、社会が不安定な時期でしたが、池谷には農業に根ざすことで感じられる確かな暮らしがあったんです。この暮らしを次につなげていくためには、農業をやるしかない。当時はそんな思いでしたね」


池谷には「こうなりたい」と思える大人がいた


そのとき佐藤さんは広告代理店への就職がすでに決まっていました。それを断っての移住は、周囲からはなかなか理解されにくいものだったそうです。

「代理店の人からは『素人が行っても役に立たないだろう』と反対されましたし、友達からも『どうして法学部で世界のことを学んだのに農業なの?』と言われました。

当時は東日本大震災が起こる前だし、地方を盛り上げる動きもほとんど注目されていない時期だったので、賛成してくれる人は本当にいなかったですね。親にも絶対反対されると思ったので、移住してから報告しました(笑)。

『農業は定年後でもできるんじゃない?』そう言う人もいましたが、池谷にいるのは高齢の方ばかりで、今やらないとつなぎ手がいなくなってしまいます。そのことについてはなかなか理解してもらえませんでした。

それでも諦めなかったのは、自分が住みたい場所でやりたいことをやるという夢を絶対に実現したかったから。そして、池谷には『こんなふうに生きてみたい』と思える大人たちがいたからです。その一人が、私の師匠でもある羽柴さん。地に足をつけてこつこつと生きている人で、自然や環境から生き方を学びながら暮らしているから、ぽろっと出る一言もすごく芯をついている。こんな人になりたいなあと思いました。そんなふうに、東京では出会えなかった『なりたい大人』に出会えたことも、大きな理由ですね」

師匠と共に笑顔で!



失敗も含めて楽しいと思える



大好きな場所と、憧れの大人を追いかけ、ついに池谷での生活をはじめた佐藤さん。移住した当時の生活を振り返って佐藤さんはこう語ります。

「やっぱり、最初は大変でした。冬は豪雪地のため4メートル近い雪が降るので、せっかく車をいただいたのに、ぶつけて3カ月で廃車にしてしまったり、農業でも機械トラブルがあったり……。でも、そういう失敗も含めて毎日が楽しかったですね。

東京にいると情報や選択肢が多くてすべて受け身になってしまいますが、池谷だと能動的にいろんなことにチャレンジできます。私自身が飽きっぽいので、めぐる季節を感じながら農業をして、毎日の変化を追いかけることに夢中でした」

農作業に従事し、自身がプレイヤーとなる一方で、池谷集落の存続についても問題意識を持って取り組んできた佐藤さん。その活動の一つが、移住女子としての生活をつづり、里山の魅力を発信するフリーペーパー「Chuclu(ちゅくる)」です。

「私一人が農業をやっても、農村や社会を大きく変えられるわけではありません。池谷は小さな集落なので、ただ人口を増やすことさえも難しい。それより、準・村人のような人がもっと増えるといいなと考えていました。たとえば農作物を買ってくれるとか、定期的に通うとか。どんな形でも、関わってくれれば村人だと考えれば、集落を継続していけるかもしれないと思っています。「Chuclu」を作ったのもその一環ですね。

私の前に移住された方がいるので、その時点で池谷は限界集落からは脱しています。だからといって状況が大きく変わったわけではありません。農業の担い手は不足していますし、まだ交通も不便で娯楽が少なく若い人が暮らしやすい環境とは言えない。集落って、いろんな世代の人がいて初めてうまく機能するんです。今の池谷は70~80代の方がたくさんいて、間が大きく空いて30代の方がいるという構成。もっとバランスよく幅広い年代の人が住むといいなと思いますし、そのためにも魅力を発信し続けたいと思っています」

師匠からもらった「失敗なんてない」の言葉


現在はこの地域で出会った男性と結婚し、1児の母でもある佐藤さん。出産を経験したことで、さらに池谷の魅力を強く感じるようになったそうです。

「昔は保育園がありませんでしたが、代わりにたくさんの大人たちが子どもを見守り、時には叱りながら、一緒に育ててくれていました。池谷にはなんとなくまだその空気が残っていて、すごく安心感があります。

そもそも移住する前は、結婚して家族を持つことをあまりイメージしていませんでした。でも、池谷には幸せな家族像がたくさんあるんですよ。家族という土台があるから頑張れる、そうやって働く人の姿を見ていると、私もこんなふうになりたいなと思います。移住して一番変わったのは、家族への価値観かもしれないですね」

来年には農園を法人化し、保育士や管理栄養士の方などと協力しながら「農村を子育てするお母さんたちの精神的なよりどころにして、子どもの味覚と感性を育める場にしたい」と考えていると言う佐藤さん。

自分の立場で感じたことを実行に移す行動力は、学生のころから変わっていません。そんな佐藤さんから最後に、まだやりたいことが見えていなかったり、見つかっているけれど踏み出せない20代の若者にメッセージをもらいました。

「やりたいことはじっとしているだけでは見つからないので、会いたい人に会って、アンテナに引っかかったものはとにかくやってみる。そうしているうちに、出会いや感じたことがなんとなく道になっていくので、まずはやってみることが大事だと思います。

それでも踏み出せないという人もいるかもしれません。私の師匠は『失敗なんてないんだ』とよく言っていました。

農業は一年に一度しかできないので、その一回で作物がうまく実らなければその年は失敗だと思ってしまいます。でも、そうではなくて今年はこうだったから来年は変えてみようと試行錯誤を続ければ、それは失敗にはならないんだよ、ということ。きっとその繰り返しで、いつの間にか道はできていくのだと思います。そうして蓄積された経験たちは、いつかどこかで必ず役に立ちます。失敗を恐れず、なんでも挑戦してみてください」

「失敗なんてないんだ」。尊敬する師匠の言葉を借りて、私たちにエールを送ってくれた佐藤さん。反対を押し切って限界集落へと飛び込んだ佐藤さんも、試行錯誤の上に今の生き方や生活があるのでしょう。

挑戦するのはどんな人でも怖いもの。でも、恐れずやってみることで、大切な何かが見つかることもたくさんあります。やりたいことがあるけれど踏み込めていないという人は、まずは小さなことからでもはじめてみると、きっと道が開けるかもしれません。


<取材・文:小沼 理/編集:東京通信社>

識者プロフィール


佐藤可奈子(さとう・かなこ)
香川県生まれ。立教大学法学部政治学科卒業後、池谷集落に移住し就農。その後、かなやんファームとして水稲、さつまいもを栽培。移住女子フリーペーパー「ChuClu」編集長として、里山での魅力ある生き方を発信。2014年十日町市農業委員、2017年新潟県農林水産審議会委員に就任。ForbesJAPAN「日本を元気にする88人」ローカルイノベーター55選に選出。女性のチャレンジ賞(内閣府男女共同参画担当大臣賞)受賞。2017年よりかなやんファームから「雪の日舎」への社名変更し、2018年法人化予定。
雪の日舎HP:https://snowdays.jp

※この記事は2017/10/26にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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